いちにいさんし、ご、ろくしち……あれ?(あ。ななひき、か)
在宅中は、無意識にいつも点呼をとる。足りないけど足りなくない。この現実よ。
今朝目覚めたら泣いていた。夢の中でハムちゃんの手触りをかんじていたから。
虚と実と。わからなくなって泣き続けた。
やすやすと、どほんとあいた暗い底なしの『ソッチ』に行きそうになる。
ぐっと踏みとどまるたんびに、ぐさぐさになった胸が引き攣れるんだ。
そうかー。よっちゃんがうたってくれるのなら。泣くのはよして、愛の話をしようか。
ちがった。猫の話。でも猫は愛のかたちをしているのでちがっていない。←やめなさい。
こないだの”埼玉殺処分ゼロシンポジウム”が東京新聞さんの記事になっています。
リンクしてありますのでアクセスして、「ああ、こんなに関心があるのか」と次へつなげましょうね。
参加して感想。
ここ最近ではいちばんでした。たいへんクレバーで、午後寝そうでヤベとか言い合って
へらへらしていたくせに、あっという間。ひきこまれたすばらしいいちにち。梅田さんに拍手!
種明かしもされていましたが、「殺処分ゼロ?できるわけないじゃん」→「やだ♡できるかも!」
この流れが秀逸でした。登壇者の方々ものびのびお話しされていてこちらもうれしい。
実はここ数か月、「いろいろメンドクセーひともいるしまとまんない限りゼロ無理」と自分に言い訳。
感情の振れ幅が大きいのはとても疲れるので日和見になっていました。
それを自分では中庸だと思い込んでいたのです。なんとおとぼけか。ばばんばんか。
とくに今年に入ってからでしょうか、動物愛護啓発イベントの母数が増えるにしたがって
その内容の精度が上がってきたきがしませんか?
これからもどんどん、密度が濃くなって、学ぶ場がふえることでしょう。すばらしい!
つぎの課題は集客ですよね。知っていても、知らなくても、多くの方に参加いただきたい。
「すでに知っている人たちばかりの知識が濃縮されていき、知らない人へ届けることが難しい」
質疑応答で、凝り固まった肩の関節がごきゅごきゅ唸るくらい頷きました。みなさんもでしょう?
活動家同士の想いや交流は更に深めていって団結すればいいし、問題意識も共有できるといい。
濃縮還元ジュースみたいに。まずはひとつに混ざり合えるといいのかも。
ここから。ちょっとむずかしいです。私個人のかんがえです。
ええと。知らない人へのリーチはテレビしかないとかんがえます。しかもエンタメ系。きらいですが。
どんな商品でも、どんな業界でも、知らない客層へ訴えることを考えているのが代理店ですよね。
マーケのプロ。売るプロがかかりきりでうんうん唸っている程度には相当にむずかしいことなので、
やはりわたしたちもそろそろ真剣にかんがえなあきませんなあとおもいました。
ソースはアドビさんです。全年齢からキレイに抽出。わるくないデータだとかんじました。
要約すると、買うか買わないかの情報収集にWEBが台頭してきているので企業のみんなー!
もっとWEB活用しようぜ!というメッセージがびんびんなんですが、使えます。
一般市民はテレビからの情報をたよりに生きていて、それ以外は意欲がないと入手できない状況。
これを踏まえると、やっぱり、ばかみたいに、ひとりひとり、アタックするしかないとおもうのです。
ゼロ達成を熱望するくらいの熱量で、一般市民の視点に立って、応援してもらえるような
活動内容や広報や人間性を磨く努力をしないと殺処分はなくならないよなあとおもいます。
ペットショップで動物買うのは、センターに、共に生きた家族を棄てにくるのは、一般市民だからです。
あ!べつにね、テレビできちんと報道してくれるのをあきらめたわけではないですよ!
テレビのひとー!「犬部!」を月9ドラマかエネイチケの朝のやつにしてください。アニメでもいいです。
あとムツゴロウさんたすけて。なんとかして。未だ数字取れるどーぶつ系は彼しかいないけどまあ無理かな。
レポのつもりがどうにもまとまりません。だから時間がかかっています。
最後に、わたしを突き動かすものを。
表面上は良識ぶって、ききわけのいいふりして、でもうちっかわは感情の嵐に耐えている。
この画像の意味、わかりますか?数字も見てくださいね。
でね。乳飲み子。映ってるでしょ。棒グラフの後ろ、2匹、もふもふ。
殺さなきゃいけないんですよ。
生きる希望にあふれた新しいいのち、もぞもぞと愛らしいこの乳飲み子は殺処分されました。
動物を助けたくて獣医になった。
でもいまは、健康な動物を殺す。なぜなら獣医だから。 その痛み。苦しいほどせまる。
この、ポスターの意味もお分かりになるでしょう。
動物は、ペットは、感情があり、生きています。会話もできます。
飼い主しか頼りにできない、とてもとても頼りない存在です。
殺したくないよ。殺しちゃいかんでしょう。その存在が愛なのに。
生きたくて生きたくて、生かしたくて生かしたくて。
それでも今ここにいない、ハムちゃんとハムちゃんを失ったわたしにとって、
殺されなければならない命が、明日もおびただしい数いることが納得できない。
なぜですか、神様。なぜですか、無関心なあなた。なぜ行動しないのですか?
わたしのなかのこどもが暴れます。
「いやだいやだ!ほしいほしい!」 と駄々をこねています。
嫌なものはいや!理屈じゃなくて単純なもの。なんて久しぶりなんだ。
たまにはこういうのもいいなとおもいました。
【ハムちゃんへ】
お母さんすこし焦っています。四十九日までに、決めたいの。
ちゃんと、ハムちゃんに報告して、きちんとしたいの。
さみしいよ。かなしいよ。
会いたいよ。
さみしいよ。
さみしいよ。
さみしいよ。
在宅中は、無意識にいつも点呼をとる。足りないけど足りなくない。この現実よ。
今朝目覚めたら泣いていた。夢の中でハムちゃんの手触りをかんじていたから。
虚と実と。わからなくなって泣き続けた。
やすやすと、どほんとあいた暗い底なしの『ソッチ』に行きそうになる。
ぐっと踏みとどまるたんびに、ぐさぐさになった胸が引き攣れるんだ。
泣くのはよしてよ ここにある愛を 泣くのはよしてよ ここにある愛を
流れるメロディーと いつも あなたのために うたってあげるよ
そうかー。よっちゃんがうたってくれるのなら。泣くのはよして、愛の話をしようか。
ちがった。猫の話。でも猫は愛のかたちをしているのでちがっていない。←やめなさい。
こないだの”埼玉殺処分ゼロシンポジウム”が東京新聞さんの記事になっています。
リンクしてありますのでアクセスして、「ああ、こんなに関心があるのか」と次へつなげましょうね。
参加して感想。
ここ最近ではいちばんでした。たいへんクレバーで、午後寝そうでヤベとか言い合って
へらへらしていたくせに、あっという間。ひきこまれたすばらしいいちにち。梅田さんに拍手!
種明かしもされていましたが、「殺処分ゼロ?できるわけないじゃん」→「やだ♡できるかも!」
この流れが秀逸でした。登壇者の方々ものびのびお話しされていてこちらもうれしい。
実はここ数か月、「いろいろメンドクセーひともいるしまとまんない限りゼロ無理」と自分に言い訳。
感情の振れ幅が大きいのはとても疲れるので日和見になっていました。
それを自分では中庸だと思い込んでいたのです。なんとおとぼけか。ばばんばんか。
とくに今年に入ってからでしょうか、動物愛護啓発イベントの母数が増えるにしたがって
その内容の精度が上がってきたきがしませんか?
これからもどんどん、密度が濃くなって、学ぶ場がふえることでしょう。すばらしい!
つぎの課題は集客ですよね。知っていても、知らなくても、多くの方に参加いただきたい。
「すでに知っている人たちばかりの知識が濃縮されていき、知らない人へ届けることが難しい」
質疑応答で、凝り固まった肩の関節がごきゅごきゅ唸るくらい頷きました。みなさんもでしょう?
活動家同士の想いや交流は更に深めていって団結すればいいし、問題意識も共有できるといい。
濃縮還元ジュースみたいに。まずはひとつに混ざり合えるといいのかも。
ここから。ちょっとむずかしいです。私個人のかんがえです。
ええと。知らない人へのリーチはテレビしかないとかんがえます。しかもエンタメ系。きらいですが。
どんな商品でも、どんな業界でも、知らない客層へ訴えることを考えているのが代理店ですよね。
マーケのプロ。売るプロがかかりきりでうんうん唸っている程度には相当にむずかしいことなので、
やはりわたしたちもそろそろ真剣にかんがえなあきませんなあとおもいました。
ソースはアドビさんです。全年齢からキレイに抽出。わるくないデータだとかんじました。
要約すると、買うか買わないかの情報収集にWEBが台頭してきているので企業のみんなー!
もっとWEB活用しようぜ!というメッセージがびんびんなんですが、使えます。
一般市民はテレビからの情報をたよりに生きていて、それ以外は意欲がないと入手できない状況。
これを踏まえると、やっぱり、ばかみたいに、ひとりひとり、アタックするしかないとおもうのです。
ゼロ達成を熱望するくらいの熱量で、一般市民の視点に立って、応援してもらえるような
活動内容や広報や人間性を磨く努力をしないと殺処分はなくならないよなあとおもいます。
ペットショップで動物買うのは、センターに、共に生きた家族を棄てにくるのは、一般市民だからです。
あ!べつにね、テレビできちんと報道してくれるのをあきらめたわけではないですよ!
テレビのひとー!「犬部!」を月9ドラマかエネイチケの朝のやつにしてください。アニメでもいいです。
あとムツゴロウさんたすけて。なんとかして。未だ数字取れるどーぶつ系は彼しかいないけどまあ無理かな。
レポのつもりがどうにもまとまりません。だから時間がかかっています。
最後に、わたしを突き動かすものを。
表面上は良識ぶって、ききわけのいいふりして、でもうちっかわは感情の嵐に耐えている。
この画像の意味、わかりますか?数字も見てくださいね。
でね。乳飲み子。映ってるでしょ。棒グラフの後ろ、2匹、もふもふ。
殺さなきゃいけないんですよ。
生きる希望にあふれた新しいいのち、もぞもぞと愛らしいこの乳飲み子は殺処分されました。
動物を助けたくて獣医になった。
でもいまは、健康な動物を殺す。なぜなら獣医だから。 その痛み。苦しいほどせまる。
この、ポスターの意味もお分かりになるでしょう。
動物は、ペットは、感情があり、生きています。会話もできます。
飼い主しか頼りにできない、とてもとても頼りない存在です。
殺したくないよ。殺しちゃいかんでしょう。その存在が愛なのに。
生きたくて生きたくて、生かしたくて生かしたくて。
それでも今ここにいない、ハムちゃんとハムちゃんを失ったわたしにとって、
殺されなければならない命が、明日もおびただしい数いることが納得できない。
なぜですか、神様。なぜですか、無関心なあなた。なぜ行動しないのですか?
わたしのなかのこどもが暴れます。
「いやだいやだ!ほしいほしい!」 と駄々をこねています。
嫌なものはいや!理屈じゃなくて単純なもの。なんて久しぶりなんだ。
たまにはこういうのもいいなとおもいました。
【ハムちゃんへ】
お母さんすこし焦っています。四十九日までに、決めたいの。
ちゃんと、ハムちゃんに報告して、きちんとしたいの。
さみしいよ。かなしいよ。
会いたいよ。
さみしいよ。
さみしいよ。
さみしいよ。
手にしたものを埋めて
愛は根を張る
さよなら
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